北海道保存車輌制覇の旅~2日目その2.5~


前回の記事にあった新聞記事の書き起こしです
単なる管理人の自己満足ですが(笑)、よかったらどうぞ
(以下旧仮名遣い・旧字体は現代仮名遣い・新字体に改め、適宜読み仮名を記載。文中解読不可の文字は○、脱落した文字は□で記す)
まずは1929年11月8日の小樽新聞

祝鷹泊幌加内間開通
きょう幌加内沃野よくやあがる鉄道開通の歓呼
雨龍宝庫の扉はひらかる
多年の念願かのうて

雨龍線鷹泊~幌加内間鉄開全通祝賀会の喜びを迎うる同郡幌加内村は石狩国の北端に位し雨龍川発源の両丘地りょうきゅうちにして東西三里南北三一里さんじゅういちり〇〇〇七二方里ななじゅうにほうり〇は多度志沼田たどしぬまたの両村に接し東西北野一方〇天塩国境をもって包〇せらる千古斧鍬を入れぬ大林□鬱蒼として無限□林産物を有し無尽蔵と称せらるる鉱産物即ち金銀銅砂金石炭石油あり未だ試掘中に属するも近年これが鉱区出願者極めて多く村内の中央をえんえんとして貫流する雨龍川流域は地味肥沃ちみひよくにして農耕に適し近年著しく〇田熱勃興し数年を出ずして一大米産地に化しめんとする趨勢にあり現在戸数九百有余戸人口五千五百人と註され生産・牧農産六十四万円□産四十四万円その他畜産工業〇獲物三万三千円合計百一万三千円を算し前途洋々たるものがある

 

僅か二里の道が米一俵六円
全国で単独請願が始め
吉利智宏氏の懐旧談

深川駅から雨龍川に沿い宗谷線に連絡すべき鉄道敷設請願書を明治四十四年七月十六日付をもつ 時の逓信大臣兼鉄道院総裁後藤新平男(管理人注・男爵)に提出せしが個人単独の請願は全国で初めてであった、その筋では同年雨龍御料地付近一帯を七ヶ月にわたり鉱物調査の結果石炭その他重要鉱物無尽蔵の報告となりまた参謀本部でも測量をなし軍事上必要なる鉄道で一日もゆるがせに付すべからざるものであることを表示された、しかして請願書を提出してから四十八日目に当る九月三日に「請願線調査打合うちあわせのため至急出札せよ」との電命に○し、ついで筒□技師一行の実地調査とあり調査員五名にアイヌ三十五名計四十名、糧食日用品わらじまで四十二日間分を○力で寄付供給したのである温根別線おんねべつせんより添牛内そえうしないに至る僅か二里の行程であるが苅分け道かりわけみち泥路でいろでねい〇を没する有様に糧米は米利堅袋メリケンぶくろに入れ背負い運搬した米一俵の運賃は六円でわらじは一人一日三足を用意せしも二足でたりた、かくの始末にて調査終了まで総計費七百五十余円を要した、そ□□他の鉄道調査報告は調査終了後一括して報告するのをこの線路は毎日前日の分を報告せよとの厳命であり士別もしくは剣淵局まで専用人夫の供給をも承諾するの余儀なかったのである、なおきに述べた鉄道調査測量隊の第一歩を幌加内村字幌加内ほろかないむらあざほろかないに踏み入れたのは実に明治四十四年九月十八日午後三時過ぎであった、途中雨煙別うえんべつで故井尻久吉氏からビールのち走(管理人注・馳走)と乗馬の提供で疲労した足を休め得たのである当時の幌加内市街は戸数わずかに四五軒にて駅逓扱い人大津部氏の好意で鴻雁こうがん(管理人注・大きな雁のこと)一羽を出されたがその珍味今になお記憶に新たである又部落長その他の有志が一行の歓迎宴を張らんとしたが鉄道は未だ野のものとも山のものともつかぬのでいたずらに空費すべきにあらず他日たじつ鉄道開通の暁まで預かり置かれたしと述べてその厚意を謝し宴は断った」と当年を追懐して語った(写真は請願を待つ撮影)

 

千の美声より一つの汽笛
きょうの歓びを迎えて
幌加内村長 藤澤辰二郎氏談

「百千の農村振興という美声を聞くより村頭に一声の汽てきを聞きたい」とはかつて本村有志が本鉄道速成請願書に記述した一節である 言○○穏当を欠く様にも思われるが本鉄道○□元来昨年まで全線開通すべき計画の下に当初起工されたものであったが彼の関東地方の大震火災の影響やら鷹泊峠たかどまりとうげの難工事やらで繰延くりのべのやくに遭い今日漸こんにちようやく当市街まで開通した次第で奥地添牛内方面□住民□寸時□速に本鉄道□延長されん事を熱望している 牛歩遅々ぎゅうほちちながらも本日初めて当市街まで列車運行を見たいで市況俄しきょうにわかに活気を呈し各種産業勃興に伴う戸口の増加□村勢進展上一新紀元そんせいしんてんじょういちしんきげんを画し従来僻地へきちとして閑却かんきゃく(管理人注・打ち捨てられて顧みられない)されちであった本村もようやく周知されんとする秋にここに簡素ながらも挙村一致きょそんいっち祝賀会を開催するにあたり鉄道当局を初め熱誠努力ねっせいどりょくせられたる工事監督受負人並こうじかんとくうけおいにんならび従務員じゅうむいん各位に対し満くう(管理人注・満腔。身体いっぱい、満身という意味)の誠意を披れき(管理人注・披瀝。包み隠さず打ち明けるという意味)感謝し本道出身各代議士管内選出道会議員各位の直接間接与えられたる御助力に対し深く敬謝おくあたわざる次第でなお関係住民が農繁時期にもかかわらず義務的に出役して砂利さん布(管理人注・散布)工事に従事しもって本鉄道開業期日の速成に努めたる篤行とっこうは真に感激にたえぬ次第である

 

十億噸じゅうおくトンという炭田の開発
一大米作地で奥に大森林
堀越北建事務所長談

雨龍線敷設の目的は天塩、石狩の両国を連携してもっぱら北部地方の開発をなすにあるのであるが、一面本鉄道系統から見て拓殖進展上大いに貢献するはもちろんまた将来は樺太との連絡交通□も経済的に主要なる路線として多大な期待をつながれている。

林鉱産無尽蔵
その他林産、鉱産また無尽蔵とされ近年ことに鉱区出願者の続出する景況であり、かの埋蔵十億噸と称せらる雨龍炭田の開発も浅野総一郎氏(管理人注・浅野財閥の創始者。鶴見線浅野駅の駅名は彼に由来する。難関校である浅野中学・高校も設立した)の経営で目下着々掘さく(管理人注・掘削)を進めている。鉄路の敷設はこれ等沿線の富源を開発して本道の拓殖に大なる貢献をなすであろうことは勿論である

本線工事概況
本線は既設鷹泊駅から起こり朱鞠内に至る七八キロ78km五十メートル50mの鉄道で昭和五年をもって全通の予定のもとに工事を進め、幌加内、添牛内間二十四キロ24km九百七メートル907mに工事も既に大半竣工を見るに至った今回開通する鷹泊、幌加内十六キロ16km四〇〇米400mは大正十年五月実測に着手し同十四年十一月から合資会社堀内組の受負で工を起こしトンネル区間を除いた土工工事は契約当時の竣工期限たる昭和三年五月十五日に完成したが幌加内トンネルは南北とも坑口の土質が極めて悪く掘削には最も不適当な粘土質で在来の工事方法ではとうてい掘さくが出来ないためやむなく線路変更を行い線路を延長し期限を一ヶ年延ばして本年五月十五日全工区の竣工を見た次第であるこのトンネル工事を除いた他は難工事として特記するものはないが従来の建設線に比較すると相当の巨額に上るがここに予定通り開通を見たのは邦家のため○○に堪えないところである

 

 

続いて1932年10月25日の小樽新聞

祝幌加内線全通
雨龍の山野に鉄輪のひびき
宝庫開発を使命として
きょう幌加内線全通

北海道建設事務所長 片桐嘉靖
本線は深川停車場を起点として函館本線より分岐北進して幌加内村字朱鞠内ほろかないむらあざしゅまりないに至る延長七九キロ余79  kmよの線路でもっぱら石狩国最北部の雨龍川流域無限の宝庫開発をその使命としている。本地方は南地に石狩平野に○くるの外三方山岳連亘ほかさんぽうさんがくれんこう(管理人注・三方に山々が連なっている)して比較的□長の場なるが雨龍川その中央を貫流南下しおおむ地味肥ちみこ沃野よくや各所にひらけて農耕に適し又上流一帯は鬱蒼たる原始林におおわれかつ地下には豊富なる炭田つらなりその開拓を待つもの極めて多いしかるに沿線には一条の町村道あるのみで現在自動車さえ通せぬの交通機関に恵まれざるため拓殖の進展まことに遅々たるものありて本鉄道の敷設促進を待望すること実に久しきものであったが大正七年第四十一回帝国議会において軽便鉄道として敷設の協賛を経て四十年四月当事務所の所管となりここに漸く地方多年の要望○していよいよ起工確定し同年五月ただちに深川鷹泊間の測量を開始して翌年十月深川○○間の線路選定の上これを第一工区として同年十二月本線最初の路盤工事に着手し自来漸次工じらいぜんじこうを進めで十三年十月深川多度志間の第一次開業をなしついで十五年十一月多度志鷹泊間昭和四年十一月には鷹泊幌加内間更に昨六年九月には幌加内添牛(管理人注・添牛内の誤植か)間の部分開業を経て今回残る添牛内朱鞠内間十粁二分10km 2ぶの工事落成し本日をもって本線着手以来実に満十一ヶ年五ヶ月の歳月と建設費総額四百四十六万円一粁1km当たり平均五万六十余の○○をついやしここにその全通を見るに至った次第である
本線は地勢並施工ちせいならびにしこうの都合上線路□定を五区間に路盤工事を六工区にわかち施工したのであるが線路は深川を出て暫し平坦なる田園の間を北進し漸次ぜんじ山陵を辿りて雨龍川流域にでそれより多度志幌加内の村界をなす山間を除きては随所に開けたる○地を遍ずるも雨龍川沿岸比較的狭隘きょうあいなる山裾或やますそあるいは段丘の地を縦走する所また多くしたがいて○○の工大なるものありて○堤○土積四七六、八九八立米476. 898㎥切取三六七、八三二立米367. 832㎥に及び橋梁□○計四ヶ所この延長九八六米六六986m 66にいて雨龍川を渡る五橋および○川の褶曲部に架する○居陸橋等主などしゅたるものである又隧道は三ヶ所この延長一、二九三米三六1293m 36にして幌加内隧道最も長大である尚本線中には地質極めて不良の箇所あり殊に幌加内隧道○並に五二粁52km付近において最もはなはだしく施工に伴い土砂の○出崩壊又は地盤の滑動等かつどうなどに会し工事進め難く遂に右二ヶ所の線路変更をなすに至り施工上多大の苦心を要し本線中最も難工事としたる処である又特殊なる工法としては第三雨龍川橋梁一五〇呎橋桁150フィートはしけた架設工事がありこれは道最初の試みとする「ケーブル式架設法」により昨年冬期積雪期に施工したるもので成績極めて良好に進捗したが竣功間際に至って監督中の職員一名奇禍に遭い○○○の犠牲者を出したるは顧みて洵に遺憾に堪えない次第である
次に本線工事用主要材料中の砂、砂利等は沿線随所に産する河砂利かわじゃりを採取し得たる利便ありたるもこれ等は運搬するに沿線に通ずる一条の道路は誠に不良で殊に融雪晩秋両季においては泥濘甚でいねいはなはだしく日用物資の輸送には非常なる困難をなめた又本地方は奥地に進むに従い積雪多量で丈余に達すること珍しくなく馬橇うまぞりにより辛うじて通ずるも交通杜絶こうつうとぜつ(管理人注・途絶に同じ)に陥ること一再いっさいならず(管理人注・一度や二度ではない)従って毎歳十一月より翌年四月までは全く積雪に埋もれ工事期間はようやく半歳にすぎない状態で工事進捗を阻害せらるること誠に大きなものであったが幸いに工事受負者並に従事員一同不断の努力と地方一般諸士の多大な後援とによりここに本線の全通を見雨龍山野○くこだまする鉄輪響きは地方産業文化の向上に一段の進展を来すものあるを信じ邦家のためまことに慶賀に堪えない次第である

 

線路の状勢
本線は雨龍郡深川町既設函館本線深川停車場におこり既成線にそうて北進須臾しゅゆにして(管理人注・しばらくして)同郡一已村いちやんむらに入り左転して田圃たんぼの間を駆り新四国霊場として名ある丘陵丸山を左に見て○昇山間を蛇行して村界近き分水嶺に多度志トンネル(延長三四一米九九341m99)をうがち多度志村に入り雨龍川流域にで左岸に沿う○○と○○しつつしばしばこれを○切り北進して山間にたどり幌加内村との村界に幌加内トンネル(延長七七二米三三772m33)を穿ち幌加内停車場を設置平圃へいほの間を北進して本線最長の第一雨龍川橋梁(延長一一七米八六117m86)を○り雨煙別停車場を設け進むことしばし再び雨龍川に会して第二雨龍川橋梁(延長一一二米六二112m62)を架しそれより第三雨龍川橋梁(延長一〇〇米九七100m97)を渡れば次第に耕地ひらけて馬鈴薯の耕作盛んなる字添牛内村あざそえうしないむらに入るその南方の部落に正和停車場を設け添牛内市街に西部にで添牛内停車場を設置し直に第五雨龍川橋梁(延長七五米九〇75m90)をこえて狭隘きょうあいなる地を道路と併進して朱鞠内停車場に終る、本線の実延長七九キロ〇六六米一八79km066m18にして最急勾配千分の二〇20/1000(管理人注・20‰)最小○線半径二四一米四241m4である

 

開発の生命線
福利増進を期せ

幌加内線全通祝賀協賛会
深川町長 山本彦太氏談

今回添牛内朱鞠内間鉄道開通しここに幌加内線の全通を迎え多年の要望を達成したることは誠に○幸に堪えない所である
○○すれば地方の○○本○拓殖の促進並敷設速成同盟会そくしんならびにふせつそくせいどうめいかいを組織したるは今より十七年前大正五年にして自来地方先輩各位の熱烈なる切望と地方情勢を考察せられたる当局の不断の努力は遂に大正十一年十二月工事着手を見たるものにして着工以来十ヶ年の歳月と四百四十万円の経費を費やされ区間開業五回に及び今日の完成を告げられたるは当深川町として衷心ちゅうしん感謝○くあたわざる所である。不肖ふしょう(管理人注・私。山本町長のこと)敷設同盟会組織当時そのことに携わり今ここに全通祝賀に会す、往時を追想しるただ今昔こんじゃくの感を深くするものである

おもうに本線は雨龍川沿岸における無尽蔵なる鉱産林産及農業開発上の生命線たるは論をまたざる所これが全通により将来、殖産○○の上○○○○すべきものあるを信ず吾人ごじん(管理人注・私たち)地方民は本線を利用の○○○発福利増進に○○を期さねばならぬ

また本線は雨龍原野一大宝庫の開発にとどまらずその終点たる朱鞠内はの既定線たる名寄羽幌に通ずる分岐点にしてこれが開通の暁においては本線の価値はけだし最も有意義なるものあるを信じいよいよ本線の前途を祝福する次第である

 

新興幌加内村の前途弥栄いやさかに栄ゆ
(管理人注・一層ますます栄える)
鉄道全通にあたって
幌加内村長 岡本幸信氏談

本道拓殖を促進し殆ど無尽蔵と称される幌加内資源開発の○として○○地方民の久しく待望していた幌加内鉄道はいよいよ本日をもって全通を見るに至った事は地方民の歓喜は勿論自分としてもまことに慶賀に堪えぬ次第である、本村は石狩国の最北端に位する東西六里、南北二十八里の広大な地帯を有する農村で耕地は水田千二百町歩、畑二千五百町歩、この外に農耕適地五千町歩を有しその八百町歩は造田可能地である。産業の状態は米と澱粉でんぷんのみで四十万円を算し燕麦えんばく○荷を加えて生産の首位に座しその他合算して年額百万円を超ゆる現状である
鉄道敷設前の交通はすこぶる不便で鉄道によって事を弁する(管理人注・用事を済ませる)には遠く八、九里の難路を士別、剣淵、又は和寒等わっさむなどに出なければならず、物資の供給をこの方面に求めていた往時は全く「海のない離島」の感があった、昭和四年十一月鷹泊、幌加内間開通によって初めて鉄道の有難ありがたさを知り更に昭和六年九月添牛内まで開通するや村民は歓喜していわゆる文化の恩恵を満喫した、将来有望な本村の発展を期待する人々はきそうて大規模なる製材工場や澱粉工場等を建設しその他の大小事業も興起こうきしたために人口は鉄道開通前に比して倍加し現に千四百戸を数えている、世にいわゆる「幌加内の無尽蔵」と称せらるる天然資源の開発は即ちこの鉄道の開通によって手をそむべく本村面積の九割を占むる森地帯は千古斧鍬を入れぬ原始林で御料林、国有林、北大演習林にわたって六万町歩、恐らく七、八千万石は下るまいといわれている、御料林と北大演習林には至るところ砂金鉱ありだが御料と大学の所有であるため採鉱権を得るに容易でない関係からまだ充分の開発を見ていないが将来開放の時期あらば実に莫大な生産場になると思う、石炭鉱は幌加内駅方面に三十鉱区、今回開通の朱鞠内奥地に八十余鉱区あってこの埋蔵量十数億トンを下らぬという専門家の○○で現に高さ数十尺に及ぶ石炭層の露出が数ヶ所にあり加うるに目下試掘計画中の石油鉱も大なる期待を持たれているから鉱業王国幌加内の前途は正に洋々たりであろう
これが開発を期する□多年の宿望ここに○村内の○○○は大体において○した訳で○に札沼線に○○して○○に延びるいわゆる札佐線路の計画が実現しかつ名羽線○○完成される時においては朱鞠内はその分岐点となって発展し沿線の富源開発にともなう我が幌加村(管理人注・幌加内村の誤植か)の興隆はけだし素晴らしいものがあろう、要するに今後の発展雨龍奥地の文化の進展は幌加内民の開発と○○とに立つものがく(管理人注・立つものが多く/大きくの誤植か)更に関係町村の援助を唯一の□と依頼してやまぬ○○である。
終りに○□本鉄道全通に対し鉄道局と後援代議士、○○諸氏○に工事施工の各位の御努力対し深く感謝の意を表するものである

 

往時を追想し感慨無量
幌加内村開拓功労者
吉田三郎氏談

幌加内線鉄道全通の報に接し幌加内村の往時を追想して感慨禁ずるあたわざるものあり。回顧すれば明治三十年当時の道庁長官原保太郎氏は明治維新国事に共に奔走せるので予の父正義と相知れるがため日露の風雲急を告ぐるの際北海道開拓の急務を○導し開拓事業に従事すべきを勧奨かんしょうされしが予は大○○等三名を伴い雨龍川上流に土地を選定すべく進入せしに起因せり、当時多度志に家屋三戸と幌成ほろなりに土人一戸鷹泊付近に炭鉱会社の伐木人夫の入込みありしのみで幌加内原野は真に千古無人のけいきよく狐狸○○の巣窟であった
八月十六日深川を発し十九日幌加内原野に到着二日間視察して肥沃の土地を認め父正義の名を以て○定存置地百五十万坪の許可を得たるが之れ幌加内原野開拓事業の許可された嚆矢こうしである翌三十一年三月予は幌加内の入り口カモイルベシ川付近に食料運搬所を設置して幌加内原野に入る宿舎および食料の準備をなせり爾来じらい移民を招来し開拓の連成を○りしに其年七月雨龍川大水害ウエンナイ川付近より現在の幌加内市街を経て植民地に至る間は丸木舟を以て往来せり九月石狩川氾濫し深川市街地も浸水し本道未曽有みぞうの大水害を被むり運搬道路橋梁破壊して食料の運搬極めて困難であった
当時深川より幌加内に通ずる道路は十五里なりしを十二里に短縮すべく十一月開削道路新設されしも寒中の工事にして翌三十二年融雪の○は運輸交通の不便○○に絶せるもので深川市場で十五もせざる南京豆が幌加内では一三十銭であった。然して幌加内で産出せるものは菜種の外深川市場へ売却して利益あるもの一もなかった、この年又々雨龍川氾濫道路橋梁破損したので予は鷹泊市場管理人北内鹿太郎多度志農場管理人○○○の両氏とはかり遠藤住民受負として道路修繕を担任私費を投じて多度志山道路両側密樹を伐採しその他のヶ所にもびしが(管理人注・及びしがの誤植か)三十三年九月初めて深川幌加内間駄馬の往来するに至れり
三十四年又々大水害あり心不安に駆られ原野の開墾に望そ相○いて去らんとせしをて予は天災地勢の何れの地に存在するを得たり去らんとする者は去れ予は死すとも幌加内○を去らざるを誓いたりしに初めて安んじるにおいて空知庁に事情を具し道路修繕の請をなせり、三十四年鷹泊郵便新設され予は局長に就任三十年より和寒幌加内間の○○所にて奔走し四十年その道の開通により幌加内原野の開○○ようやく容易なるを得たり、
十三年雨龍川の水○を深川土組合が引用する由を聞き地方民の薦めに請願して○○川堰は雨龍川の水を引用し深川土組合は石狩川の水を引用するとにするを得たり
四十四年九月予は代議士羽晴氏より○て吉利智宏氏とは□り天塩国美深びふかより幌加内を経て川に通ずる鉄道敷設の計略ある□きき幌加内に至り幌加内駅逓えきていで吉利氏が鉄道測量隊を案内して○より無人の山中を通過し来たるに会見し幌加内有志集合して真にむせんだ、然るに大正十五年一月に多度志鷹泊間の鉄道開通それにより漸次ぜんじに延長して今や幌内線の(管理人注・幌加内線の誤植か)の全通となりしょ地方(管理人注・諸地方)のために歓喜に堪えざる○○である