北海道保存車輌制覇の旅~3日目その4~


管理人は滝上町郷土館から遠軽町郷土館へ、100㎞超の行程を走破すべく車を走らせます

国道273号線を延々と上り続けること3、40分ほど
この旅初めて利用する高速道路となる、旭川紋別自動車道の浮島ICが見えてきました
旭川紋別道は全線が無料、そのためETCカードを未だ所持しない&ド貧乏な管理人でも気軽に利用できる高速道路

 

しかし浮島ICに入るまでが面白かったですね
目の前に高速道路の高架橋が全く見えない山の中でいきなり

このような標識が出てきます
指示に従って右折すると

 


今度は馬鹿みたいに長~いアプローチが出現します

 


ようやく本線の高架橋と合流部が姿を見せるのですが

 


ここにくるまでにこれだけの高低差と距離を要しました
マップの中央、曲がりながら下っていく道路が国道273号線なのですが、木に隠されているとはいえアプローチ部との交差点が見えないくらい彼方にあります
初っ端からこれはえらいこと

 


アプローチを登りきった先にある本線との合流部は、料金所がないので作りが至ってシンプル
地元新潟市を東西に貫くバイパスと全く同じつくりなので、ここまでくれば何も怖いものはありません(笑)
車も走ってこなかったので難なく本線に合流し、初めての「一人高速道路走行」は上々の滑り出しです
その後も特筆するような出来事は起こらず、終点の遠軽ICに到着して初めての一人高速道路走行は無事終了
遠軽町中心部を走り抜け、遠軽町郷土館には12:40頃の到着です

 

郷土館の隣、遠軽公園に保存されている車輌を撮りたかったのですが、道沿いに延々タイガーロープが張ってあって入れない
「どうやって入るんだ?」と考えていたら、道路と平行して走る線路に何やら動きが
遠軽駅12:41着の普通列車がやってきたようです

 

除雪車、キ100形
とりあえず道路から望遠をのばしての撮影ですが、まあいいでしょう
道の先まで見てもタイガーロープだったので、「まああとで撮ればいいや」と郷土館の駐車場まで戻ったのですが、どうやら駐車場の裏手から入るのが正解だったようです

 

こちらの岩の前に保存されているのが

 

こちらの動輪と

 

こちらの機関車、D51 859号機

 

ご覧のとおり、除煙板(デフレクター・デフ)にでっかく遠軽町の町章が描かれています
正面から撮ればわからないんですけと、なんか、ねぇ……

 

斜め後ろから

 

機関車の前には説明板が
厳しい戦況によって資源が乏しくなる中、節約できるところは節約する(ときに節約してはいけないところまで節約する)いわゆる「戦時設計」の思想下で製造されています(ただしこれはまだ純然たる「戦時設計型」ではなく、雰囲気が随所に垣間見えるくらいで済んでいる)

 

機関車上部をよく見てみると、通常丸みを帯びた蒸気溜めや砂箱(であってますかね……ボイラー上に突き出た二つの突起)が角ばっています
このカクカクなデザインが特徴の一つ

 

同じ形式の違う車輌と比べてみると一目瞭然
比較対象の3輌の突起が一つしかないのは多分蒸気溜めと砂箱を一つのドームで覆っているから、なのか?(あまり不正確なことはいえません、専門外なので)
ともかく、この特徴的な外見が撮りたかったのです

 

郷土館に入りましょう
入り口では大きな古時計がお出迎え
遠軽駅にあったようです
名寄本線関係の資料は階段を上がった2階にあります

 

その資料室に吊り下げられている遠軽駅駅名標兼案内標

 

遠軽町にあったのは遠軽駅と北遠軽駅だけだったためか、こちらの駅名標も保存されています

 

遠軽駅時刻表
枝線である渚滑線興浜南線も(ともに1985年廃線)湧網線も(1987年廃線)失った、最末期時点のものであると思われます
夜行に接続する関係上か、名寄へ向かう始発列車が4:40発と異常に早い一方、紋別から到着する始発列車が7:54着、名寄からやってくる列車に至っては9時過ぎの到着とかなり遅め
遠軽を発車する列車は紋別までしか行かないのに、遠軽に到着する列車は過半数が名寄から全線走破してくるというアンバランスさが目立ちます
支線の湧別を発着する列車が一本もないのもなかなか……(すでに1960年代の段階で中湧別~湧別2往復だけという悲惨さだったらしい)

 

こちらは「旭網線運転系統図」と書かれた地図
のちの湧網線につながる路線案を記したもののようです
ここでの「旭」とは旭川、「網」が「網走」のこと
当時旭川と網走を結んでいた石北本線(図中の点線)に「1/40(=25‰)の勾配」があって難儀であると書いてありますが、もうちょっと鮮明に撮ればよかったなあ……

 

運賃表

 

こちらは名寄本線を「生命線」とみなす、対策協議会作成のポスター
ただしその下に「廃止に伴うポスター」と書かれてあります
名寄本線関連の資料に「生命線」という言葉が出てくるのが1984年、すなわち廃止承認の1年前なので、抜き差しならない状態一歩手前くらいの状況でこんなポスターをつくったようです
少なくとも部外者からはそのように見えます

 

廃線直前期の新聞連載

 

廃止の際に掲げられたヘッドマーク

 

駅頭に掲げられた感謝の看板
「お~い」というのは感嘆詞であると共に「多い」と掛かってるんでしょうか
この他にもいろいろあったんですが、名寄本線はもう既にかなりの枚数の写真が揃ってきたので、別の路線にも注力せねばならんと思い撤収
その他にあった展示品も面白かったのですが写真は撮りませんでした
そろそろ好奇心よりも疲れの方が上回ってきています

 

さて、郷土館を出た管理人が次に向かうは

中湧別駅の跡地に設けられた鉄道資料館
資料館とはいっても車輌が展示してあるだけなのですが、現役ではまずお目にかかれない車掌車が複数展示されていること、しかも現役当時のプラットホームに立てるということで車を走らせます
道中特段のこともなく20分ほどで到着しました

 

というわけでまあ車輌車詰め合わせです
ついでに除雪車もいます

 

駅名標

 

名所案内
上の駅名標と共に、現役当時のものがそのまま保存されています

 

保線区の記念碑
ここに書かれている路線・駅のうち名寄本線・湧網線が消滅したのはもちろんのこと、石北本線の金華駅も2016年に信号場へと格下げされました

 

管理人の熱意がだんだん下がってきているのがお分かりいただけるでしょうか(笑)
郷土館で写真が少なくなっているのと同様、ここでも車掌車の中など撮っていません
この旅に限らず管理人の撮影旅行のモチベーションは、
「HPに載せる写真を撮る」
のほぼ一点のみに絞られています
貴重な資料として保存するとか細部に至るまで記録に残すとかいう気持ちがほとんどないのです
故に興味関心のおもむかなかったり疲れていたりするとすぐに撮影の優先順位が下がってしまう
これは致命的な弱点であると自覚しているので、何とかせんとあかんなあと思いながら次の地点へ向かいます

 

お次は

名寄本線支線の終点、湧別駅から伸びていた湧別軌道
10年足らずで廃止された軽便鉄道を記念する標柱を撮影しにきました

 

これだけです
湧別駅跡地に建設された湧別町文化センターさざ波という施設の真向かい、一般人のお宅に隣接した砂利敷の駐車場の道路沿いにポツンとあるばかりです
しかしほんのわずかな期間しか運行されなかった軌道の記念碑が残っているだけでも感謝せねばなりません
このような軌道の多くはその軌跡が瞬く間に抹消されていってしまうのですから

 

すぐに撮影が終わったので先を急ぎます
次の目的地はこちら

またしても20分足らずでたどり着く、旧湧網線計呂地駅跡地でございます
計呂地交通公園として整備されており、また隣接の「駅長の家」に湧網線関連の資料が展示されているとのこと
のびにのびている盛夏の雑草の合間合間にサロマ湖を眺めながら、14時過ぎに到着です

 

貼り紙のとおり、呼べば中を見学できるのですが、管理人さんが来るまでの10分が惜しいので見学はパス

 

こちらが保存されている機関車と客車
機関車だけに屋根がついています
客車にないのはお金がなかったからなのか、客車はどうでもいいと思ったのか……

 

説明文

 

この1本だけがベルギー製のレールだそうですが、遠目にはちょっと区別がつきません

 

駅の沿革が記された石碑がホーム上に設置されています

 

適当に転がしてあった保線用移動車の類

 

というわけで計呂地駅跡での撮影は終了
次の撮影地へ向かいます

オホーツク海・サロマ湖沿岸を離れて内陸部へ
目指すは旧佐呂間駅跡地にできた、佐呂間町交通公園です