北海道保存車輌制覇の旅~4日目その4~


時刻は11:41、これから管理人はおよそ100㎞離れた抜海町にある鉄道資料館に向けて車を走らせようとしています

実は撮影地点から撮影地点までの一回の移動距離としては、3日目昼に移動した滝ノ上から遠軽までの103kmが最長で、それ以外の多くはせいぜい40km程度と小刻みな移動
すくなくとも長距離を走った後にまたすぐ長い距離を走るということはなかったわけです
ところがここにきて100km超走行→100km超走行というコンボが決まり、予想はしていたもののカーナビで道のりを検索した管理人は思わず
「おっと」

 

とはいえ驚いてばかりもいられないので、海と根室本線に挟まれた国道38号線を走り、釧路市街を避けて通るバイパスに乗って北進します
国道272号線に入ってからは法定速度ぴったしで走る二大巨頭たる、トラックとパトカーに先導されましたが、無事にたどり着きました
時刻は13:50、余裕時分を30分ほど食いつぶしての到着です

 

西春別「駅前」バス停留所の待合室の脇に放置されているよくわからない遺構の前を通り過ぎて

 

記念館に入館です

 

蒸気機関車のステンドグラスが飾ってあります
中に入ると

 

C62 2のプレートがお出迎え
受付で
「すいません、見学したいんですけどいくらですか」
「あ、ここは無料なんです、ご自由にどうぞ」
なんて間抜けなやり取りをし、

 

ここにきた最大の目的の一つである、標津線廃線時のヘッドマークに対面です
「ブルートレインでさよなら標津線の旅」なんて書いてありますが、当時の写真を見ると本当に14系客車が入線したようです
レールバスが運行するようなローカル線だったのに、よく入れましたね(線路への重量制限的に)

 

その近くには標津線開通前史の説明文や路線経路選定にあたっての争い、さらに標津線開業前の馬車軌道時代の写真や、標津線開業後、簡易軌道として生き残った際と思われるガソリンカーの写真も展示されています

 

1933年12月1日、標津線厚床~西別が開業した際の釧路新聞
ちゃんと撮ったつもりだったのですが、ブレが酷いのとそもそもかすれて読めない文字が多い……
ただ2.5のときと比べると文語文調でもよりくだけた文体となっていて、文自体は読みやすくなっています
村長は昔の人間ですんで寄稿文は相変わらず固いですが

 

(写真略)
開通時の時刻表から駅の開業年月日から事故の記録から運輸実績に至るまで、かなり詳しく展示されています
これで無料はすごい

 

(写真略)
1988年頃の朝日新聞が展示されており、いわゆる「長大4線」として名の挙がっていた標津線に対する政治折衝やその結果、廃止決定までの経緯が追えるようになっています
「名寄・天北・池北・標津」の長大4線のうち、天北・標津は全線廃線、池北は第三セクター転換、そして名寄は一部第三セクター転換で一時決着がついたことが書かれているのですが、注目すべきは「残る1.5線 難問は地元負担」という項
「『妥協の産物』ともいえる名寄線は地元負担が膨らみすぎるため、現実的には池北線のみを残すシナリオで協議が進められそうな雲行き」(1988年10月4日付朝日新聞より引用)と書かれていることから、名寄本線の一部第三セクター化は当初から国も道もJRも想定しておらず、あくまで「営業成績がいい池北はギリギリ残せる、池北だけでは(選挙区の兼ね合いで)バランスが悪いので、名寄もしょうがないが一部残す」くらいの考えで動いていたことが見てとれます
なおこの決着に際しても名寄本線沿線自治体は「全線存続」を軸に闘争する方針であったことが読み取れるほか、1988年10月4日付朝日新聞によれば、標津線沿線自治体はバス転換に合意したものの、「他3線より経費を抑えられるし営業成績も良くなりそうなのに、池北ばっかりずるい」と不満ブーブーだったことがわかります
それにしても9月9日に折衝が完了し、10月初めには不承不承ながらも標津線沿線全自治体が廃止に同意、半年後の4月末に全線廃線……とえらい勢いで話が進んでいったんですね

 

駅名標

 

運賃表
相変わらず仙台・東京・大阪まで明記されています

 

別海駅歴代駅長

 

切符回収箱と乗車券箱

 

国鉄バスのシンボルマーク、ツバメ
国鉄バスもいつか手を出してみようかとは思うのですが、如何せんバス停というのは駅以上に変遷のつかみにくいものですので、ずっと後回しになることでしょう

 

保線作業車
ご丁寧にタイプ別かつ絵入りで説明されています

 

腕木式信号機
そこそこの規模で内容もとても充実した、素晴らしい展示でした
長大4線の沿線はいずれも保存車輌だったり博物館だったり展示資料だったりがかなり豊富でしたが、これも「残ってほしかった」という気持ちの表れなのでしょうか

 

外にも展示がありますので、見ていきましょう
なんだかおもちゃみたいな色をしていますが、これが現役時とほぼ変わらない姿らしい、D51-27
こちらはデゴイチことD51と同型ですが、樺太にわたったという点で特筆されます
日本ではここと振内にしか保存されていない特別な機関車です

 

ただし日本領時代の樺太で動いていたわけではなく、ソ連に接収されてからの樺太(つまるところがサハリン)に輸出されて働いていたので、樺太東線や樺太西線のページにのっけるかはちょっと思案中

 

後ろにくっついている除雪車と車掌車は日本で活躍した車輌たち

 

機関車たちの後ろで見切れていたのが

 

キハ20形です

 

西春別の駅名標も立っているホームに停車しています

 

そばには西春別以外の駅名標もずらり
100km飛ばしてきた甲斐がありました

 

次の目的地へ参りましょう
旧別海村営軌道風連線の奥行臼停留所というところへ向かいます

 

よかった、44㎞だ(え)

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