北海道保存車輌制覇の旅~4日目その5~
別海町鉄道記念館の展示に大満足の管理人
お次に向かうは
別海村村営軌道という殖民軌道(簡易軌道)の奥行臼停留所です
殖民軌道というのは鉄道のようで法律的には鉄道でない、道路の代替としてつくられたものの道路でもないという、拓殖を目的として建設された、北海道に特有の宙ぶらりんな「鉄道」を指します
ドロドロのグチャグチャの穴ぼこだらけ、通行するのもままならない有様だった道路よりはマシ……ということでつくられた殖民軌道は、特に北海道道東の原野の中に張り巡らされ、開拓や資源輸送の手段として活躍
一応線路と枕木で軌道が出来ているものの動力は馬(のちにガソリン動力などになりましたが)、脱線するし遅いしすれ違いは無理やりという代物で、イメージ的にはDASH島のトロッコに近いものがあるかと思います(参考。あれでも立派すぎるくらいかも)
厚床~中標津には標津線が開業する以前にこの殖民軌道が延々と伸びており、標津線の開通によって大部分が廃止されました
しかし厚床~風連だけは残存し、さらには標津線開業5年後に風連の北西方向にある上風連へ延伸
4.5の記事中に出てきた、「要所要所より鉄道の培養線を施設して奥地原野と鉄道の連絡を便ならしむることが必要である」というとおりになったわけです
戦後になっても奥行臼~風連を開業する(同時に厚床~風連は廃止)など「鉄道の培養線」として活躍し続けましたが、標津線より先立つこと18年、1971年に全線廃止となりました
今回は戦後に生まれた奥行臼停留所に保存されている、「自走客車」なる珍物を見に行こうというわけです
別海町中心部を抜けて国道243号線を走っていると、
おやおや、文藝春秋「カルト村で生まれました。」で一躍有名になったヤマギシ会ではありませんか
言っちゃ悪いですが、別海というのは北海道の中でもかなりの外れに位置する町
そんなところにカルト宗教の支部があるなんてなあ(いやカルトだからあえて信者を隔離できるような場所につくっているのか?)
なんて思って大笑いしながら引き続き車を走らせます
管理人の実家の近くにも新興宗教の施設はありましたし、結構勧誘にも来ていましたがそれが大変に鬱陶しかった思い出があります
チャイムがなって「祖母ちゃん来たのかな?」とインターホン画面を見てみたら、祖母ではなくて勧誘のチラシを抱えた人がいて、しかもいつまでも去らないのです
こういう時は居留守を使うに限るのでひたすら無視を決め込みましたし、直接的な害はなかったのですが、しかし幼心にも「とっととどっかいってくれ」と思うことしばしばで難儀したものでした
ちなみに直接的な害を受けたのが管理人の中高時代の悪友
悪友の家の向かいが「信濃町」の信者で、早朝から馬鹿でかい声で「お勤め」を行うのはまだしも、悪友が帰宅してきたところを見計らって新聞を押し付けにきたり、道ですれ違うだけで例の先生の教えを説いてきたり、「今度○○で集会があるんだけど来ない?」とあからさまにもほどがある勧誘をしてきたり……と散々な目に
彼も管理人も、我々の友達も含めて、このような新興宗教に対する被害を多かれ少なかれ受けてきた身なので、中高という多感な時期であったことも相まって、小馬鹿にして笑い飛ばし続けていました
そんな当時のことを思い出したら笑いがこみ上げてきて、危うく道を間違えそうに
それでも無事15時過ぎに到着です
駅員詰所の前に保存?されているターンテーブルの遺構
こちらがディーゼル機関車と「ミルクゴンドラ」と呼ばれる貨車
歌登にいたこいつとそっくりですが、色のせいでしょう
別海の方は森博嗣氏の庭園鉄道にも登場する「KATO 7tディーゼル機関車」に酷似していますが、こちらは耐寒かつ殖民軌道用に製造された珍しいタイプなんだそう(自重も7tではなく6t)
ちなみにこの「KATO」というのは模型趣味者にはお馴染みの関水金属ではなく、「加藤製作所」という現在も建設機械を製造している会社のことです
機関車の前に停まっている「自走客車」
クレーンなどを製造している釧路製作所(こちらも現在まで存続する会社です)で製造された気動車
しかしエンジンはバスの流用というから面白いじゃあありませんか
逆側から
車輌の右側に見切れている建物が詰所兼待合室です
車輌および別海村村営軌道の説明板です
野ざらしのわりに綺麗ですね
待合室の中には説明板や写真の数々が展示されています
説明板には企画展名として「釧路・根室の簡易軌道」と書かれており、同名のという書籍が釧路市立博物館から出版されているため、推測ではありますが博物館で展示してあったのをそのまま引っ張ってきたのか?
ちなみに管理人は2018年の冬、金のない中例の書籍を2018年に買ってしまっています(笑)
めちゃくちゃ興奮して読みふけった資料や実物の数々が目の前にある事実に、身体が打ち震えています
打ち捨てられていた車輪も見事に回収・修理され、保存展示されています
この力の入れようはすごい
切符
やけに立派です
ジオラマとその周辺に展示されている説明および写真
文化財ということを差し引いてもジオラマまで作って当時の様子を訪問者に伝えようとする気合は敬服に値し、その内容も刮目するものがあります
当時の奥行臼を偲ばせる写真も
詰め所の方にあるダルマストーブ
ここでどこからか蜂が入ってきたのと、床がギシギシいって壊れそうにも思われたので詰め所から退出
管理人は歩いて
奥行臼停留所の向かいにある旧標津線奥行臼駅に行ってみました
こちらが旧奥行臼駅
説明板
中に入ってみました
大変建付けが悪いですが、開業当時、すなわち昭和初期の建物がそのまま保存されているわけですから当たり前です
というかそんな施設を無人でほったらかしておいていいんでしょうか
訪問者は少ないでしょうけど
ボロボロの時刻表
上野や大阪から北海道への乗り継ぎが一目でわかるようになっているあたり、時代を感じます
運賃表
ベンチ
標語が直書きです
ホーム側に出てみました
こちらも当時のままだとか
転轍機
本当は国指定史跡である奥行臼駅逓所と町指定文化財の標津線奥行臼駅は訪れる予定がなかったのですが、最初場所を間違えて殖民軌道ではなく標津線の方に車を停めようとしてしまったので、
「見てしまったからには……」
という訳の分からない理由をつけて見に行っただけです
なので迷い込んでいない駅逓の方は全く見学することなく
次の目的地である、浜中町茶内にあるふれあい公園へと向かいます
この公園にも殖民軌道である浜中町町営軌道の機関車が保存されているということです
国道243号線→国道44号線と走り、一瞬だけ根室市に入ったのち浜中町へと突入
時刻は16時過ぎ、標津線奥行臼駅に寄り道をしましたが、時間通りの到着です
ところが
管理人はこのルートでふるさと公園へ入ろうと試みるも、草がぼうぼうで到底公園内に入れるような状況ではない(そもそもここからは入れない)
ご覧ください、草に埋もれる浜中町町営軌道のディーゼル機関車です
こっちの方が
歌登のこいつと似ていますね
地図で確認したところ、どうやらこのように行くのが正解だとわかったのですが
たとえ公園へ入っても向こうの方も草ぼうぼう、こっちで撮るのと変わらんのでは?というわけで
この辺で撤収です
全般的に打ち捨てられているような感じのものが多い公園という印象でした
2018年に訪れた方のブログでは管理人が撮った側はともかくとしても、公園側はしっかり草刈りされていただけに、これは自分の訪れた時期が悪かったのか?それとも本当は向こうから撮った方がよかったのかしら……と思いながら車に戻りました
さあ、次の目的地へ参りましょう
釧路へ戻り、日本最後の国内産出石炭輸送列車を運行していた会社の車輌を撮影しに向かいます