北海道保存車輌制覇の旅~5日目その5~
日高山脈ビラパークに保存されている蒸気機関車を撮影した管理人
撮影地点は残すところあと3つになりました
お次に向かうは
平取町の振内鉄道記念館です
当初はこの記念館を開けてもらって、中を見学する予定でした
ところが町役場に電話をかけたところ
「すいません昨日から一時閉鎖ということにさせてもらったんで……」
あえなく撃沈です
撃沈はしたものの、ここでちょっと触れたとおり日本でも珍しい車輌が保存されているので、それを撮りに向かいます
本当に士幌はギリギリセーフだったんだなあ、なんて改めて思いながら到着しました
時刻は15:50です
記念館の建物には弁慶号が
アメリカからやってきたカウキャッチャー付きのいかにもアメリカンな機関車は、官営幌内鉄道→北有社→北海道炭礦鉄道と経て、鉄道国有化後大正年間まで生き延びました
その後義経号はスクラップとなったものの、復元された車体が京都梅小路で保存されているとか
こちらがその「珍しい車輌」
D51-23です
ハイフンがついていることからわかる(?)とおり、これも抜海の記念館に保存されているSLと同じくソ連接収後の樺太(サハリン)に渡ったもの
ただし抜海のと比べるとかなり色落ちしている感があります
斜め前から
正面
SLの斜め後ろに保存してある客車
通常ならライダーハウスとして開放されているようですが、このご時世当然閉まっています
確か下部の白い管がトイレ(それも水洗)、白い柱は電柱だったはず
シャワーもついているというから驚くじゃありませんか
逆側から
こちらにも電柱が立っています
昔は白をいっぱい混ぜたような水色に塗られていたらしく、連結面の渡し板部分や錆びて塗装が剥げた部分にその面影が見えます
転轍機
駅名標
残す撮影地はあと2つ
向かうは富内鉄道公園です
旅が終わるんだなあという感傷に浸りながら車を走らせると見えてきたのが
「地元で買い物 豊かな暮し」なんて書いてある看板
……
人が誰も通らず、曇り空に覆われた中でこんな看板を見つけ、センチメンタルな気持ちだったことも相まって、
地元で買物ってったってその地元に店がないんじゃ買い物もクソもないじゃないか
乾いた笑いと共に誰がきくまでもない悪態が口をついて出てしまいます
この旅の最中、ずっと空き家や潰れた建物、果ては人のいない町の中心部を見すぎたこと、ウン十年も前の新聞からひしひしと伝わる活気や繁栄と現状とのギャップがあまりにも大きかったからかもしれません
疲れも相まってヒリヒリした空気(といっても車中には管理人一人しかいませんが……一人しかいませんよね?)の中、16時過ぎの到着です
道沿いの側線にこのように客車が保存されています
色はテキトーですけど、これはこれでありな気がする
勝手なデザインで塗ったにしては管理人の好みに合致しています(笑)
本線上には保線作業車が2輌
向こう側に何やら立派な公民館も見えますが、これは「イーハトーブ文庫」といって、宮沢賢治の資料が集められている記念館らしい
これは富内・穂別を北海道のイーハトーブにしようという初代村長の考えに連なるもので、手前の花壇は賢治が設計した「涙ぐむ眼」という名がついた花壇となっています
駅舎内には入れませんが、ここで思いもよらなかった収穫が
富内線が廃止された際に掲げられていたヘッドマークが、なぜか屋外展示されていました
このヘッドマーク、事前情報では振内の鉄道資料館内にあると聞いており、これを富内線のページに飾ろうと考えていただけに、電話して入館を断られたときの落胆もひとしお
「富内線の写真、どうすっかなあ」
と頭の片隅で考えつつ車を走らせていたのですが、まさか富内で出会えるとは想定外の事態
風雨にさらされて剥げている部分もありますから、どうせ展示するなら屋内にしておけばいいのにと思いもしましたが、まあ屋外展示のおかげで撮影することができたので、あまり深くは突っ込まないでおきましょう(笑)
富内線はこちらから
ヘッドマーク隣の説明板
沿線の産物や有名なもの、さらに歴史や駅スタンプまで載っています
さらにその隣には駅名標が
富内駅の駅名標だけは2つあり、うち一つはちょっと離れた位置に設置されています
ヘッドマークの陰に隠れて、ボロボロとなった駅名標を発見
駅舎内は改札口の方は中に入れるので、そこから撮影できるものを撮ってきました
運賃表
黒い板に書かれているものは運賃上昇に合わせて何回か書き直した跡があります
1枚目の白いものは、運賃改定前なのでしょう、下2枚よりも各駅までが安い
時刻表
ほとんどは日高本線へ乗り入れて苫小牧まで直通するようです
それにしても「到着時刻表」でもないのに「富内終着」なんてわざわざ書いてたんですね
ヘッドマーク
これは町おこしの一環として廃線15周年目となる2001年9月14日に開催された記念行事「2001年よみがえれ汽笛キャンペーン」に因むものらしい
わざわざ松山から坊ちゃん列車を呼んできたとのことですが、これは今現在松山で走っているSL風ディーゼル機関車の坊ちゃん列車ではなく、ドイツ製クラウス型(ただし複製)というほんまもんのSL(≒本物の坊ちゃん列車)を借りてきたようです
窓の向こうに見えるいろいろ
気性告知板は説明の張り紙まで残っています
なぜか映画「鉄道員」に使われた小物類がここに保存されていました
あれ、ロケ地は幾寅駅では……?と思ったら、映画を撮る際にまだ現役だったこの駅の備品を小物として用いたとのこと
幾寅駅も有人駅でしたが、モノが足りなかったのでしょうか
というか富内と幾寅では貸し借りするには遠すぎるのでは……
駅入り口横に掲げられたひらがな書きの駅名標
説明板
さあ最後の撮影地です
夕張市、旧三菱大夕張鉄道の南大夕張駅跡へ向かいましょう