北海道保存車輌制覇の旅~2日目その3~


深名線資料館を出発した管理人
お次は名寄市の北国博物館で「キマロキ編成」を狙います

幌加内町の中心部をすぐに抜けてしまったあとは、周りが畑で人家もまばらな中を、国道275号線で道なりに進んでいきます
本当に家一軒もないような畑の中を進んでいくとついに畑すらもなくなり、両側を林に挟まれた峠道に突入
一応進行方向右側には雨龍川が流れているはずなのですが、あんまり見えません
政和のあたりで開けるのですがそれもすぐに終わり、小さな小さな朱鞠内地区を通過
通過したのですが通過したという実感が全くありませんでした
本当にここが鉄道のジャンクションになりえたのか非常に疑問なくらい小さいのですが、マジで鉄道を通す気だったのでしょうか
確かに今走っている275号線やその前身たちが使い物にならなかったからこそ、鉄道が非常に有用たる移動手段であり、深名線が平成年間に至るまで生き残ってきた理由でもあるのですが、開拓の苦労を知らず整備された道をすいすい走る管理人には、おそらく実感としてはわからないままなのでしょう

 

そんな中目に飛び込んできたのが
日本最大の湛水面積を誇る朱鞠内湖の綺麗な景色!
進行左側、林の切れ目からちらちらと見えていた大人造湖をカメラに収め、ホクホク気分で山を下りて名寄市内に入ります
再びだだっ広い畑の真ん中を走って市街地に入り走ることしばし、宗谷本線の線路を渡ってようやく博物館に到着です
時刻は想定よりやや遅い10:40頃となりました
やはり途中で写真を撮ったのがいけない(笑)

 

さあ「キマロキ編成」を……!とも思ったのですが、管理人の個人的な興味ということでまずは博物館の展示を見学します

 

(写真略)

北海道の自然を再現したエリアに展示されているウサギ
えぞうさぎでしょうか
可愛らしい容貌とは裏腹に、ウサギはかなり気性が荒いです(笑)
昔学校で買っていたイエウサギが夏休みに家にやってきたことがあった(持ち回りで飼育)のですが、慣れない環境と管理人の醸し出す雰囲気(?!)が相まって威嚇・地団駄・駆け回りのオンパレード
その上ある時家の者がちょっと庭で用事を済ませて戻ってくると、いつの間にかケージの鍵を自分で開けて(!!)玄関に置いてあったスイカを盗み食いする始末(笑)
イエウサギで、しかも毎日毎日小学生に弄られているはずなのに、ほとほと手を焼きました

 

(写真略)
説明文を記録し忘れたのですが、たしかアイヌの装備をまとった人形があります
見事に毛皮でおおわれています

 

土器の数々も展示
こういう昔の北海道の文化(特にアイヌの文化)というものは大抵教科書ではサラッと触れるだけか、もしくは全く触れずに終わることも多いので、個人的には知的好奇心を満たすことが出来て嬉しい

 

(写真略)
「暮らし」のエリアでは、開拓時代~昭和にかけての北海道の住まいが再現されています
六畳もない居間にストーブ二台体制です
現代のように気密性もクソもないような時代ですから、これでも冬は相当寒かったのではないでしょうか

 

(写真略)
常設展示出口付近には名寄が生み出した大関、名寄岩関が実際に使用していた座布団が
我らが新潟の生み出した不世出の横綱、羽黒山関の最大のライバルにして、羽黒山・双葉山と共に立浪部屋全盛期を担った関取です

 

(写真略)
館内にも名物「キマロキ編成」の模型と説明が展示されています
あんまりにもあんまりな豪雪に対抗すべく国鉄が生み出した最終兵器
機関車二台で除雪車二台をサンドイッチし、壁の如くそびえたつ雪を強力な馬力でもって排除します
説明文にも書かれているとおり、新潟で運転されたこともあるこの除雪部隊
しかし最終兵器をもってしても新潟・北海道の雪は如何ともしがたく、悩みに悩んだ国鉄は悩みすぎて
「そうだ、ジェットエンジンの熱で雪を吹っ飛ばしたらどうだろう?」
などと考えて、実際に苗穂で試作車をつくってしまいます
結果的には失敗したのですが、まあそれくらい除雪は大変なものなんですね

 

(写真略)
常設展出口の壁には、大正13年7月に宗谷線全線開通を記念して撮影された、名寄市街の写真も展示されていました
大正13年=1924年ですから、おそらくその2年前、1922年に宗谷線が浜頓別経由(つまりのちの北見線天北線経由)で稚内駅(現在の南稚内駅)まで到達したことを記念したものでしょう(なお現在の稚内駅まで延伸されるのは、1928年のこと。その時の経緯はこちらから

 

さあ、常設展もあらかた見終えたので、いよいよメインの方に……
博物館入口付近から写した「キマロキ編成」
公式HPによれば旧名寄本線上にあるということなのですが、ちょっと標高高すぎません……?

 

説明板
編成として展示されているのはここだけだそうです

 

斜め前から

 

正面
準鉄道記念物のヘッドマークが誇らしげです
そういえば館内の模型についているナンバープレートはこちらの屋外の車輌とあわせているんですね

 

斜め前から

 

マックレー車と呼ばれる除雪車

 

こちらはロータリー車

 

後押しを務める機関車、D51 398

 

最後尾を務める車掌車
一番軽いと思われますが、脱線したことはなかったのでしょうか

 

こういう展示のそばには必ずあるといっても過言ではない顔はめ板

 

なぜか保存されている天塩弥生駅の駅名標

 

さあ、博物館を堪能した結果、時間が押しています(笑)
20分遅れを回復すべく早々に出発したいのですが、その前に管理人にはやることが
携帯電話を取り出し、とある場所にお電話です
そのお電話にも少し手間取り、結局博物館を出発したのは11時
次に向かうは上興部鉄道資料館です