北海道保存車輌制覇の旅~1日目その6~


滝川の郷土館を出た管理人
お次に向かうは旧歌志内線の焼山駅です

美唄鉄道の東明駅→滝川市郷土館→歌志内線焼山駅という行程をとっているので、若干南へ戻っています
これは焼山駅の次の目的地である旧三井芦別鉄道炭山川橋梁に向かうルート上に

ちょうど焼山駅があるためです

 

なお上のGoogle Maps上では道道114号→国道38号という北側に大きく迂回したルートをとっています(カーナビもこのとおりの道案内でした)が、これは

最短ルートとなるはずの道道115号線のうち

 


この区間が、土砂崩れのため通行止めになっているからです
あるブログによると2012年からずっと通れなくなっているとのことで、もう10年近く経とうとしているのですね
もっとも通行止めになる前もこの区間は坂道&ダートで走るには非常に難儀だったということなので、通行止めになっていなくてもカーナビは114号線経由のルートを指示したと思われますが

 

さて、「焼山」といわれて新潟県人が思い起こすのは新潟焼山
新潟・長野県境にほど近い妙高の活火山で、気象庁が常時観測を続けている新潟県唯一の火山です
新潟のニュースではときどき「焼山から煙が出ている」なんて流れていまして、ドーム型のはげ山から噴煙がモクモクと吐き出される姿はお馴染みの光景
そこへいきますと今から向かう焼山は「山火事が由来」だなんて書かれていますから、同じ山が関連してもその成り立ちはえらい違いです

 

国道12号線をそれて道道627号線を順調に進み、15分でつきました
実はGoogleMapsの上で表示されている所要予想時間はカーナビよりもかなり早く、場合によっては30分~1時間ほど予想時間に差が出ている事態がしょっちゅう発生していたのですが、まだこの段階ではそこまで大きなずれはありません
なんせ車が全く通っていませんし
道央自動車道の上を通り過ぎたらすれ違う車すらほとんどなくなるくらいです

 

焼山駅跡地には動輪をかたどったモニュメントが
その下に説明板があります

 

歌志内線の線路跡はサイクリングロードとして整備されており、焼山駅跡地にはサイクリストのためのレストハウスが建っております(左側の緑色の屋根の建物)

 

最初は道路側に回り込んで、
「あれ、夏なのに閉まっている……?コロナウイルスのせいか?!
などと頭の中が「???」状態になっていたのですが

 

サイクリングロード側の方から入るようです

 

レストハウスの中にはこんなものが
歌志内線の超簡単な歴史や写真が展示されています
どうせならば歌志内線の最終列車にくっついていたヘッドマークでも保存されていれば大変よかったのですが……

 

砂川市の案内地図もありました

 

道路側の出入り口がシャッターで閉じていたのは故障していたからでした
直せって話なんですが、全国一人口の少ない市ですからこういうところは後回しになるんでしょう

 

停めてあった駐車場のようなところに戻るといつの間にやらトラックが一台
どうやら休憩しているようです
私は休憩している暇もなく次の目的地である

国道452号線の炭山川橋付近に向かいます
この炭山川橋から旧三井芦別鉄道の炭山川橋梁(正確にはその上に鎮座ましましているディーゼル機関車と貨車)にお目にかかれるということで、これは絶対に押さえておきたいところです
橋の上に車輌が保存されているなんてかなり珍しいのではないのでしょうか

 

上で書いたとおり道道114号線をひたすら山へ向かって走っていきます
ペンケウタシナイ川にそって歌志内の集落が細長く伸びているのですが、どうも中心街がはっきりとしない
セイコーマート歌志内東光店を通り過ぎると、いよいよ人が住んでいるのかわからないような住居やマンションが建ち並ぶようになります
道の駅にも大して人はおらず、すれ違う車もなく、本当に一人ぼっちで無性にさみしくなってきたので、音楽を流しながら運転することに
眠気覚ましにもなりますので一石二鳥です
大声で歌いながら114号線をサミットまで登りきると、すぐにこの旅初めてのトンネルが出現
このトンネルで一気に下り勾配を駆け抜け、カーブした先に見えてくるのが根室本線です

 

線路と平行する国道38号線に移って茂尻・平岸・芦別の街中を抜け、道道115号線と合流(国道452号線と重複)
森林に挟まれた地帯を過ぎて突如出現する、こんな場所にはいささか不釣り合いな気味の悪いくらいに整然と立っている集合住宅群(三井芦別駅前に広がっていた炭鉱住宅の名残らしい)を抜けると、炭山川橋が見えてきました

 

ご覧のとおり、橋の手前(道道115号線と国道452号線の交点)に車を止めるスペースが確保されています

 

炭山橋の上から
これはすごいところに展示してあるもんだと感嘆しました
というかは大丈夫なのでしょうか?
私の知る限り、露天で展示されている北国の車輌は、冬になるとブルーシートで丁寧にくるまれて春を待つものだと思っているのですが、北海道ではどうもその限りではないらしい
まあこんなところに置いているようじゃあ、ブルーシートで車輌を覆う前に自分がブルーシートと規制線で覆われる羽目になりそうですし

 

当初はこれで車に戻り次の目的地へ向かおうと思っていたのですが、例の駐車場の近くにこのような看板が……

 

さきほど道道115号は

この区間が通行止めになっていると書いたのですが、

 


ここの区間だけに関しては、車輌見学の展望台に来る人の利便をはかったためか一時的に(?)車が通れるようになっています
この通行止め区間のわずかな短縮という情報は出発前に仕入れていたものですが、「マニアのためだけに通行止めラインを後退させているなんてことがあるのか?」と半信半疑だったので、予定に入れていませんでした
しかし現地で見たところ本当にいけそうなことが判明
これは展望台にいかないと損です

 

てなわけで
雪のせいでしょうか、向かって左側のライトカバーがひしゃげており、とぼけたような顔つきになってしまっています
しかしここまで接近して車輌が撮れたのは予想外の幸いでした
橋の上から側面を撮った写真と合わせて2パターンも撮れたのは大きな収穫です
近くにあった来訪記念ノートにちょっと書き記して車に戻りました
ちなみに「展望台」というからどんなに立派な広場だろうと思っていたら、ただ草ぼうぼうの駐車場があって、草の隙間から列車が見えるスペースだけ草が刈ってあるというだけの代物だったのにはがっくりしました
ノートまでおいてあるのだからもう少し整備でもしたらよさげですが、まあ人はそんなにこないでしょう
先のノートを見返した感じでも、長期休暇中にぽつぽつと訪れる人がいるかどうかくらいでしたので

 

さあ急ぎましょう
予定にない展望台からの撮影を挟み込んだので時間が押しています
次なる目的地は富良野文化会館

 


被写体はまたもやD51です
14:50頃に炭山川橋を出発した管理人は例の不気味な炭鉱住宅跡地を抜けて空知川沿いへ
右手に大きな湖を眺めながら気分よく運転していたのですが、まずいことに眠気が襲ってきました
不味い不味いとガムを噛み噛み音楽を流し流し堪えて堪えていたのですが、流石にまずい、時間が押してもどこかで仮眠を取らないと事故るぞと思いつつ、停まれるような場所もない
眠気を噛み殺しながら40分ほどで到着です

 

D51 954
背後には腕木信号機も保存されています

 

なお
説明板があったのですが倒されたままでした
ここの駐車場で寝ればよかったのに、撮影して気が晴れたので次なる目的地へ向かってしまいます

 


目指すは富良野から道のり30㎞も離れた美瑛町の中町公園
道道759号線の変化のない真っすぐ道と、畑が広がる単調な景色が眠気を誘い、ついに一時停止を冒進しかけるミス

 

「あ、もうこれはダメだ」

 

てなことで西中駅の駐車場で仮眠です
仮眠といっても目だけ瞑っただけで「寝る」って感じではないんですが、目の休息にはなります
これ、視覚から入ってくる情報を遮断するだけでも大分すっきりするというので管理人が浪人時代に会得した休憩法ですが、多分似たようなことやった経験のある人は多いだろうと(勝手に)推測しています

 

目を瞑って10分も経たないくらいでしょうか
カンカンカンカン……
突如西中駅の踏切が鳴り始め、遮断棒は下がり始めました
寝てはいないので管理人、即座に気が付きます
「列車……?」
と思って、とるもとりあえずカメラ片手に車を降りたのは悲しき鉄道ファンの性

 

だだっ広い畑の中を、単行のディーゼルカーがやってきました
西中駅15:56発の旭川駅行き富良野線列車です

 

乗り降りする人は誰もおらず、西中駅を発車していきます
富良野線のページには富良野・美瑛ノロッコ号を持ってくる予定でしたが、仮眠(?)をとったおかげで思いもよらずラベンダー色の列車を撮影することに成功しました
景色もいいのでこれを当面富良野線のページに使うことにしましょう(富良野線はこちらから

 

この後ちゃんと「仮眠」を15分ほどとり、完全にスッキリした状態で再び美瑛の中町公園へ
到着したのは16時半過ぎです

 

9600形蒸気機関車の401番目、49600です
「同形式の車輌が100を超えたら千や万の位に繰り上がる」という鉄道独特(なのか?)の附番方法は、この趣味に入った人が最初につまずくところだと想像しています
「鬼滅の刃 無限列車編」で有名になった8620形蒸気機関車なんか、ぱっと番号だけ見て何番目につくられたのかを瞬時に判別できる人はなかなかいないのではないでしょうか
大体8620なんて中途半端なところから附番がスタートするのが諸悪の根源です(笑)
2輌目が8621、3輌目が8622……と順に振っていくと、80輌目で8699に達します
81輌目は8700といきたいところですが、既に8700から始まる機関車が別形式で存在するので、このままでは8700が2輌在籍するというありがたくない事態が発生します
ではどうするかというと、100の位が繰り上がれない代償として1万の位まで飛ばして繰り上がることで重複を回避するわけです
そうすると81輌目は18620(18600でないところがまたいやらしいところです)、以降82輌目が18621、83輌目が18621……とまあ被る心配はひとまずなくなりますが、問題は先述のとおり
「この車番の機関車は一体何という形式の何番目につくられた車輌なのか?
例えば8620形のラストナンバーは88651ですが、これだけ見て「さあ何番目でしょう?」と言われても、よほど暗算能力に優れていない限り即答は難しい(正解は672輌目)
ナンバープレート下部に小さく「形式 8620」と書いてあるのはこうした紛らわしい事態に対処するためだということです
以前肥薩線などでSLあそBOYを引っ張っていた58654なんかの写真を見るとわかりやすいですよね

 

正面

 

斜め後ろから
ちょっと錆が目立ちます

 

後面

 

説明板
これは49600を擬人化しているのでしょうか?
一番下の一節がやけに詩的です

 

日が傾き始めてきましたが、まだまだ撮影は続きます
機関車の近くで遊ぶ小さい子供らを横目に見つつ、次に向かうは旭川

旭山動物園にほど近い、東旭川公民館へまいります