2020年冬の東武・南東北一周の旅~1日目その6~
その6まで来ましたが、まーだお昼にもなっていないのです(笑)
新藤原駅を出発したのは11:25
ここから列車は国鉄線になる予定だった野岩鉄道に入っていきます
野岩鉄道の計画は戦前まで遡り、国鉄会津線(現:会津鉄道)の会津滝ノ原駅(会津高原駅へ改名したのち、現:会津高原尾瀬口駅)と国鉄日光線の今市駅を結ぶものでした
ところが建設が開始されたのは戦後の1966年
建設中には国鉄の赤字に起因する建設凍結の影響をもろに受け工事がストップするも、第三セクター方式での開業を目指して工事は再開
東武鉄道と接続すること&電化されることも決定し、無事1986年に全線が開業
同時に東武鉄道・会津鉄道と直通運転を開始しました
野岩鉄道の元となった計画路線は、
米沢と喜多方を結ぶ予定だった日中線、
磐越西線の一部である喜多方~会津若松、
会津線の一部であった会津若松~会津滝ノ原
と共に、南東北を縦断する一大路線を構築する予定でした
さて、実際のところは……?
日中線の場合……ひとまず喜多方~熱塩が1938年に開業したものの、その後は何の進展もなく特定地方交通線の第一次廃止対象路線に選定され、1984年に全線廃止。1950年代の時点ですでに1日3往復という超閑散路線だったので廃止もむべなるかな。しかしこんな状況でよく80年代まで生き延びたものです
磐越西線(喜多方~会津若松)の場合……開業したのは1904年と3線中最古参ながらまだまだ現役!喜多方~会津若松(~郡山)は電化されており、会津の主要都市を結ぶ路線として、また東北から新潟県へ至る貴重な路線として、今なおその役割は重いです
会津線の場合……最初に西若松~上三寄(現:芦ノ牧温泉)が開業したのは1922年。現在只見線となっている会津若松~只見も会津線の一部であり、会津若松を頂点としてV字型(Y字型?)に少しずつ路線を延伸していきましたが、会津宮下~只見は赤字83線に、会津若松~会津滝ノ原は特定地方交通線の第二次廃止対象路線に選定。しかし日中線と異なり会津若松~只見は只見線に編入され存続、会津若松~会津滝ノ原→会津高原は国鉄民営化後1987年に第三セクターの会津鉄道に転換され存続しました。その後1990年には会津高原→会津高原尾瀬口~会津田島が電化までされています。わーお
とまあ三者三様の歴史をたどって現在に至ります
旧国鉄の路線建設を請け負った日本鉄道建設公団が建設しただけあって(?)コンクリートの高架線が多く経路は直線的でトンネルもマシマシです
そのため途中で見える僅かな車窓を楽しむのが精一杯
川の水がエメラルドグリーンになっている鬼怒川
何が写っているのか不鮮明ですが、カモが泳いでいたので携帯で撮ったものです
白い家の屋根に三本柱のようなものが立っていますが、その一番右の一番背の低い柱にちょうどかかっている、白い物体がカモです(笑)
川治湯元駅
なんかお爺さんの像が立っていました
「川治湯元○○○○」と書かれたタスキをかけて、右側を指差していますね
湯西川温泉駅です
トンネルの中にあります
トンネル駅(モグラ駅)の訪問は湯檜曽駅・土合駅・筒石駅に次いで4番目
あとは美佐島駅だけでしょうか
でもどれも降り立ったことはありません(通過しただけ)
イルミネーション点灯していますが、ちょっと寂しい
降りる人もそんなにいなかった気がします
リバティ会津111号は何事もなく30分ほどで野岩鉄道を走破し、12:00過ぎに会津高原尾瀬口駅へ到着
山の中の路線ではありますが、鉄建公団建設の路線でしかも電化しているだけあって結構すいすい進んだ印象でした
ここから列車は会津鉄道へと入っていきます
今回写真が少ないですが、撮りたかったものもなかったので列車の中で写真の編集作業をしていたせいです
ご勘弁を……